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わんわん凧
 元禄5年(1695)にはじまったとされる撫養の大凧(わんわん凧)は、大正末から昭和10年(1935)ごろまでが最も盛んな時期で、地区ごとに丸凧を作り、大きさを競いました。「わんわん凧」の「わん」とは、阿波の方言で「丸」や「円」を意味しています。
 
長岸 大正12年(1923)の印   中喜来 大正〜昭和の印   向喜来 大正12年(1923)の印
◆長岸 大正12年(1923)の印   ◆中喜来 大正〜昭和の印   ◆向喜来 大正12年(1923)の印
 
凧番付表
◆凧番付表 大正6年(1917)
撫養の大凧(わんわん凧)揚げに参加した地区や、
凧のデザインがわかります。
 松茂村からも中喜来、長岸などが参加し、中喜来の大凧は直径が5間(約10メートル)もありました。

 また、撫養の大凧の飛揚地は、鳴門市里浦の広戸海岸が名所として知られています。中喜来もまだ原野が多かった時代には、絶好の飛揚地でした。飛揚地に着くと、凧揚げ準備をして海から吹き付ける強い南東風を待ち、風に向けて凧の頭を上げ、風を利用して舞い上がらせます。大きな凧になれば50〜60人もかかり、大凧・中凧・小凧が広い飛揚地に所狭しと揚げられました。

 左の番付には、印(模様)と大きさが記され、村持ち、個人持ちが入り交じっていました。
うわぁー、大きくて丸い凧がいっぱい!どうやって空高く揚げるんだろう?
 
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