メニューイメージ
サイトマップ トップへ
はじめに プロローグ 哀しみ 怒り 楽しみ
プロローグ  
喜び 阿波の藍と藍染め 阿波人形浄瑠璃芝居 その時歴史がちょっと動いた おわりに
 
 
矢印 水とたたかう松茂の人々
矢印 松茂の地形の移り変わり
矢印 松茂の新田開発
  長岸・広島
  中喜来
  笹木野
  豊岡
  豊中
  住吉
  長原
  満穂・豊久
  向喜来・福有
 
 
松茂の新田開発
長原
延縄漁船 (長原若宮神社)
延縄漁船 (長原若宮神社)
地曳漁船 (長原若宮神社)
地曳漁船 (長原若宮神社)
鯔網漁船 (長原若宮神社)
鯔網漁船 (長原若宮神社)
◆松茂町指定有形民俗文化財 若宮神社奉納船
 戦国時代の終わり、永禄年間(16世紀中ごろ)に、別宮浦(現在の徳島市川内町)から今切川河口の中洲に、9戸・44人の漁師が移り住んだのが、長原のはじまりと伝えられています。

 そのため、永く別宮浦の支配下にあり、ようやく江戸時代後期の享和2年(1802)に、別宮浦から独立して長原浦になりました。こうしたいきさつから、漁場は別宮浦との入会の時代が長く、江戸時代にはたびたび争論がおこっています。

 江戸時代後期には、漁業の取り締まりのため、長原に徳島藩の「魚御分一所」という役所がおかれました。
 
松茂町指定史跡 三好長治終焉の地
◆松茂町指定史跡 三好長治終焉の地 
(豊岡招魂社境内)
三好長治(1553〜1577)
 勝瑞城主であった父の三好義賢(みよし よしかた)が戦死した後、阿波・讃岐(現在の香川県)・淡路(現在の兵庫県)の国政を執り、松永久秀・織田信長に対抗する三好三人衆を助けて、たびたび畿内で戦うなどすぐれた戦国武将でした。

 しかし、元亀元年(1572)に、あやまった噂から家臣の篠原長房を滅ぼし、自らの政治力を低下させました。また、阿波の民衆すべてを日蓮宗に改宗させようとした「法華騒動」をおこし、民心の反発をかい、晩年は不遇でした。

 天正5年(1577)に、荒田野(現在の阿南市新野町)で謀反した家臣たちと合戦になりましたが、進撃できず、退却の途上で敵側の猛追にあい、淡路に逃れる途中の別宮浦(現在の松茂町長原と豊岡の境)で自刃しました。
ページトップ
 
Copyright (C) 松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館 All Rights Reserved.