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松茂の新田開発
豊岡
 豊岡は、江戸時代後期の享和元年(1801)に、宮島浦(現在の徳島市川内町)の庄屋の坂東茂兵衛によって新田開発されました。

 坂東茂兵衛の孫の坂東黙之丞は、この新田が気に入り、自らの名を「豊岡茘とん」とあらためました。のちに茘とんは、組頭庄屋(大庄屋)になり、今切川の治水・利水に功績をあげた政治家として活躍しました。また、明治維新をむかえると、吉野川の水を有効利用することを記した『疏鑿迂言』を知事に建白するなど、学者としても有名になりました。
 
江戸時代の干拓堤防のおもかげをとどめる松並木
◆江戸時代の干拓堤防のおもかげをとどめる松並木
(旧・松茂第二保育所(現・まつしげ保育所)前、1994年撮影)
松茂町指定有形文化財 豊岡開拓碑(豊岡神社)
◆松茂町指定有形文化財 豊岡開拓碑 (豊岡神社)
 
豊岡れいとん画像 (坂東協二所蔵)
◆豊岡茘画像 (坂東協二所蔵)
豊岡れいとん(1808〜1880)
 文化5年(1808)に生まれ、明治13年(1880)に亡くなりました。もとは坂東黙之丞と称しましたが、祖父が干拓した豊岡新田を好み、その土地の名をとり、姓を豊岡と改めました。茘は号です。

 宮島浦(現在の徳島市川内町)の庄屋の家に生まれ、後に宮島浦の庄屋と豊岡新田の名主を兼ねました。若くして今切川筋の用水裁判人に抜擢され、難題を解決して名庄屋といわれました。

 幼少より学問にすぐれ、多くの本を読破するとともに、師匠について儒学を学び、その博学と記憶力は多くの人々を驚かせました。農業経営・土木・治水利水など、実業的な学問を主に究めましたが、仏典や西洋訳書にも精通していました。

 また、詩文・書画も得意で、晩年は広瀬旭荘(豊後国〈大分県日田市〉出身の儒学者。広瀬淡窓の弟)、柴秋邨(徳島城下出身の儒学者)ら文人と交友しました。

 明治7年(1874)には、西野知事に『疏鑿迂言』(吉野川北岸に大用水を建設し、藍から稲作への転換を説いた著書)を建白しました。他に『稼学堂遺稿』、『吉野川利水策』などの著作があります。
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