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松茂の新田開発
長岸・広島
 長岸・広島は、松茂町内で最も古い時代に陸地になったと考えられ、鎌倉時代の萱島荘の一部と推定されます。

 伝承によると、長岸は戦国時代末期から本格的な開発が行われ、古くは野上村とも称されました。尾張(現在の愛知県)から来た古川三右衛門や播州(現在の兵庫県)浪人の阿部弥一郎らが中心となって干拓したと伝えられています。

 広島の干拓がいつ、誰が中心となってはじめられたかはよくわかりません。ただ、江戸時代のはじめ、広島には中喜来とともに、徳島藩筆頭家老の稲田九郎兵衛の加子屋敷(水軍の拠点)がありました。しかし、多くの人々は、江戸時代を通して、もっぱら農業や漁業・商業に従事していました。
 
江戸時代の絵図『御両国之図』に記された松茂の村々(長岸・広島・中喜来)   松茂町指定有形文化財 絵天井
◆江戸時代の絵図『御両国之図』に記された松茂の村々 
(長岸・広島・中喜来)
  ◆松茂町指定有形文化財 絵天井 (広島不動院)
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