目録編纂の経緯について:学芸員 松下師一


●はじめに
 今回、松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館所蔵の中西仁智雄氏寄贈コレクションから『浄瑠璃本蔵書目録(一)』を刊行するにあたり、その編纂の経緯について記しておきたい。ただし、筆者がこの浄瑠璃本の整理・調査に携わったのは、1993年からであり、それ以前のことについては中西仁智雄氏・和田賢次氏からの聞き取り取材によった。

●『目録』編纂の経緯
 中西仁智雄コレクションの人形浄瑠璃本の整理と調査が始まったのは、1989年のことであった。
 これは中西仁智雄氏の熱意、つまり人形浄瑠璃芝居の歴史を研究しようという熱意に端を発するものであって、中西氏自身の監修・指導の下で多くの人々の協力によって成就された整理・調査成果である。
 そこで、そもそも中西氏が、浄瑠璃本を収集されたいきさつについて触れておきたい。中西氏の著書『限定版 阿波木偶の波紋』(自費出版、1984年)によると、次のように記されている。

 「私(中西仁智雄)は『阿波の木偶」を出版するに当り、歴史的にも学間的にも少しでも正しいことを書き残したいと思い、大阪の天牛(道頓堀の古書店)をはじめ、大阪、京都、東京はもちろん奈良、滋賀、大分など知り得る古書店にお願いして、文楽関係書籍を手当り次第に買い集めていた時、その副産物として無数の義太夫年表が次から次へと集まって来た。(中略)なおこの収集と時を同じくして、浄瑠璃の丸本も次から次へと一人でに集まって来た。稽古本も含め300冊にもなっている。」
 ※(   )内は松下注。
 『阿波の木偶』の初版が発行されたのは、1971年のことであり、実に20年以上も前に、浄瑠璃本の収集は行われたのである。当時の思い出を中西氏に尋ねると、「20年ほど前に、近世文学学会が徳島を会場に催された際、ご出席の面々が『歴史散歩』と称して、私の家を訪問された。その折に早稲田大学の先生より、珍しい浄瑠璃本があると御誉めいただいたのが印象深い。」とのことであった。また、浄瑠璃本(特に丸本)の整理に取り掛かられた折り、中西氏より文楽座の吉田玉男氏(人間国宝)や吉田玉五郎氏などに浄瑠璃本を照会したところ、「近松門左衛門以前の古浄瑠璃の本など、長年の文楽生活の中で一度も耳にしたこともないものがある」と、驚嘆されたという。
 こうした中西氏の人形浄瑠璃の資料収集への思いと、研究者・文楽関係者の助言により、浄瑠璃本の整理・調査への機運は高まっていった。ついに1989年に、中西氏にとって20年来の念願であった浄瑠璃本の整理・調査が開始された。
 整理・調査において実務を担った人物に、和田賢次氏がある。和田氏は、浄瑠璃本の埃払い、しわ伸ばしに始まり、調査票の作成、目録の原稿化、印刷原稿の校正に至るまで、中西氏の右腕として整理・調査にたずさわった。
 元来、和田氏は生物学を専門にされる研究家であって、近世の古書の解読は得てでなく、そのため多くの方の協力を仰ぐこともあった。とりわけ郷土史家の高田豊輝氏の助力は大きく、丸本の奥書に記された難読文字の解読は、彼の博識による点が多い。
 また、文字が解読できても、読みが解らぬことが多々あり、その際には国立文楽劇場の学芸員に協力いただいた。当時のエピソードに、学芸員より中西仁智雄コレクションの人形浄瑠璃本の中に、未翻刻(未活字化)の七行浄瑠璃本が二六外題含まれていることを知らされ、整理・調査中の中西氏以下の関係者一同が、中西仁智雄コレクションの人形浄瑠璃本の学術的な価値を改めて再認識したという(表「未翻刻七行浄瑠璃本」参照)。
 
未翻刻七行浄瑠璃本(1989年現在)26外題
久米仙人吉野櫻(くめせんにんよしのざくら)
 作者:爲永太郎兵衛
 
頼政扇子芝(よりまさおおぎのしば)
 作者:西沢一風 田中千柳
花筏巖流嶋(はないかだがんりゅうじま)
 作者:浅田一鳥
   延享3年11月3日 文化7年9月8日
東鑒御狩巻(あずまがみみかりのまき)
 作者:並木丈輔・安田蛙桂・浅田一鳥
 寛延元年7月15日
攝州渡邊橋供養(せっしゅうわたなべのはしくよう)
 作者:豊丈助・安田蛙桂・浅田一鳥
 寛延元年霜月15日
玉藻前曦袂(たまもまえあさひのたもと)
 作者:浪岡橋平・淺田一鳥・安田蛙桂
 寛延四年1月14日 文化3年3月
花雲佐倉曙(はなのくもさくらのあけぼの)
姫小松子日の遊(ひめこまつねのひのあそび)
 作者:千前軒門人 吉田冠子・近松景鯉・竹田小出雲・近松半二・三好松洛
 寶暦7年2月朔日
敵討崇禅寺馬場(かたきうちそうぜんじばば)
 作者:竹田小出雲・竹田瀧彦
 作者連名:千前軒門人 吉田冠子・近松半二・竹土丸 北窓後一・三好松洛
 寶暦8年3月13日
由良湊千軒長者(ゆらみなとせんげんちょうじゃ)
 作者:千前軒門人 二歩軒・近松半二・北窓後一・竹本三郎兵衛・三好松洛
 寶暦11年5月16日
古戦場鐘懸の松(こせんじょうかねかけのまつ)
 作者:千前軒門人 二歩軒・近松半二・北窓後一・竹本三郎兵衛・三好松洛
   寶暦11年11月20日
天竺徳兵衛郷鏡(てんじくとくべえさとのかがみ)
番場忠太紅梅箙(ばんばちゅうたこうばいえびら)
 作者:若竹笛躬・中邑阿契
 寶暦13年臘月8日
染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)
 作者:菅専助
 明和4年臘月15日
四天王寺伶人櫻(してんのうじれいじんざくら)
 作者:中邑阿契
 明和6年2月24日
櫻御殿五十三驛(さくらごてんごじゅうさんつぎ)
 作者連名:近松半二・榮善平・寺田兵蔵・松田ばく 後見 三好松洛
 明和8年12月29日
千種結舊画艸紙(ちぐさむすびむかしえぞうし)
 作者:北脇素■・中邑阿契・若竹笛躬
 明和9歳8月19日
軍術出口柳(ぐんじゅつでぐちのやなぎ)
 作者:菅専助・安田阿契・若竹一九・若竹笛躬
 安永4年正月29日
伊賀越乘掛合羽(いがごえのりかけかっぱ)
 安永6年3月26日
繁花地男鑑(はんかのちおとこかがみ)
 作者:守川文蔵・中井粂治・春木元輔
 安永8年7月26日
日本賢女鑑(にっぽんけんじょかがみ)
 作者:近松やなぎ・近松松助
 寛政6年10月13日
假名寫安土問答(かなうつしあづちもんどう)
 作者:近松半二
 作者連名 近松東南・近松能輔・若竹笛躬
 安永9年正月4日
敵討優曇華亀山(かたきうちうききのかめやま)
 作者:司馬芝叟
 寛政6年10月19日
加々見山廓寫本(がみやまさとのききがき)
 作者:中村魚眼
 寛政8年正月29日
新吉原瀬川復讐(しんよしわらせがわのあだうち)
 作者:司馬芝叟 作者補助:並木春三
 文化3年3月3日
酒呑童子話(しゅてんどうじばなし)
文化11年如月22日

 こうした努力の結果、1992年には、第一期として103冊の丸本の仮目録が完成し、引き続き第二期として残された床本などの諸本の整理・調査が継続された。第二期の調査では、和田氏のアシスタントとして石立恒子氏が浄瑠璃本の埃払い、しわ伸ばし等の基礎作業にあたり、1993年9月には、612冊の床本(稽古本)が確認された。

●中西仁智雄コレクションの松茂町への寄贈
 こうした人形浄瑠璃本を含む中西仁智雄コレクションは、1993年10月7日の松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館の開館にあわせて、一括して松茂町へ寄贈された。
 寄贈にあたっては、開館前の9月5日より、一週間かけて中西家より資料館へ搬入した。搬入に一週間の時間をかけたのは、木偶人形の頭や絵画など入念な梱包を要する資料といっしょに運んだためである。搬入後、同月12日より、臭化メチルと酸化エチレンの混合ガスを用いた燻蒸消毒を行い、浄瑠璃本などの資料に付着した害虫とカビを死滅させた。
 同月20日からは展示の実務を行い、開館日の10月7日には、浄瑠璃本(丸本『姫小松子日遊』他)を解説を付して展示し、数度の展示替えをへて、現在に至っている。

 



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(C)1995年、2003年 松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館