松茂の交通
−航空輸送と空港−
 大正11年(1922)、日本初の定期航空路が徳島―堺間に開設され、吉野川から飛びたった水上飛行機が徳島に空の時代の到来を告げました。
 戦後は昭和32年(1957)に、松茂の旧海軍航空隊跡地に海上自衛隊徳島航空基地が設置され、同37年には民間航空も使用することとなり、共用飛行場「徳島空港」が誕生しました。
   
   
年   月
旧海軍航空隊と徳島の民間航空
 大正11年(1922)11月 日本初の定期航空路が堺―徳島間に開設される。水上飛行機が吉野川から発着する。
   

昭和初期の水上飛行機
県南(日和佐沖)に、水上飛行機が不時着したときに撮影。
 昭和17年(1942) 4月 海軍徳島航空隊として開隊する。
 昭和20年(1945) 3月 神風特別攻撃隊「徳島白菊隊」が編成される。

神風特別攻撃隊 白菊
阿讃山脈上空を飛行する。
   
   
年   月
海上自衛隊と徳島の民間航空
 昭和32年(1957) 3月 海上自衛隊徳島航空基地の工事に着手する。(滑走路1500メートル)
            6月 水上機D・Hビーバーが大阪(堺)―徳島(吉野川橋)間に就航する。
 昭和33年(1958) 3月 海上自衛隊徳島航空隊開隊する。(後に第三航空群となる)

対潜哨戒機S2F-1「あおたか」(乗員4名)
1958年3月から、1973年3月まで、徳島航空基地第三航空群の主力航空機であった。
            5月 フロート式水陸両用機D・HアッターDHC3型(つばめ号)が就航する。

D・HアッターDHC-3型(つばめ号)(14人乗り)
吉野川大橋南詰めの桟橋から大阪(堺)へ1日2往復。大阪までの所要時間は、約45分。
 昭和37年(1962)10月 運輸省が海上自衛隊徳島航空基地を公共用飛行場に指定する。(自衛隊と民間の”共用空港”となる)
 昭和38年(1963) 6月 徳島―大阪間、徳島―高知間が定期航空路として正式に認可される。
 昭和39年(1964) 8月 徳島―東京間の運行を開始する。
 昭和41年(1966)10月 徳島空港ビルが完成する。
 昭和48年(1973) 3月 海上自衛隊徳島教育航空群が開隊する。
   

練習機TC-90(乗員5人)
1972年から導入された計器飛行練習機で、ガスタービンエンジンを搭載する。
 昭和52年(1977) 2月 第二○二教育航空隊、17万時間無事故飛行の世界新記録を達成する。
 昭和58年(1983)11月 徳島―東京間にジェット機が就航する。
 昭和62年(1987) 4月 徳島空港2000メートル滑走路完成する。
   

YS-11(60〜64人乗り)
日本の航空史に一時代を築いたYS-11の初就航(1965年4月1日)は、東京→徳島→高知間であった。
 昭和63年(1988) 4月

A300(281人乗り)
1988年4月30日、徳島に就航。座席数が大幅に増加し、またフライト特産物の出荷増、県外観光客の誘致などが期待された。
 平成元年(1989) 9月 徳島空港から初の国際便飛ぶ
 平成 2年(1990) 4月 新旅客ターミナルビルが完成する。
            10月 民間機専用の北側誘導路建設に着工する。
 平成 6年(1994) 9月 徳島―福岡間の運行を開始する。
           10月 徳島―東京間のダブルトラッキング(2社就航)が実現する。
   
   

   
   
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