松茂の地形の移り変わり
 松茂は徳島平野の中でも陸地になるのが最も遅れたところで、縄文時代には、浅い海底であったと思われます。
 弥生〜平安時代にかけて、潟湖(沿岸洲によって海から隔てられた湖)や吉野川河口になり、鎌倉〜室町時代に、自然に陸地になったところに人々が住みはじめました。
 江戸時代になると、次々と干拓がおこなわれ、明治維新のころには、今とほぼ同じ地形になりました。その後、昭和初期の飛行場建設をきっかけに規則正しい区画に整理されていきました。
(時代順:@→A→B→C→D→E)
@
A
B
江戸時代前期
-板東郡の時代-
江戸時代中期
-板野郡になる-
江戸時代後期
-新田村落ができる-
『阿波・淡路両国絵図』寛文4年(1664)以前
(国文学研究資料館史料館所蔵「蜂須賀家文書」より)
『御両国之図』寛文4年(1664)以後
(国文学研究資料館史料館所蔵「蜂須賀家文書」より)
『阿波御国図』享和2年(1802)以後
(国文学研究資料館史料館所蔵「蜂須賀家文書」より)
C
D
E
幕末・明治維新
-現在とほぼ同じ松茂の
村々ができる-
明治・大正時代
平成10年
『阿波国全図』明治3年(1870)
(徳島県立文書館所蔵「谷家文書」より)
「5万分の1地形図 徳島」
明治29年(1896)測図、陸軍省陸地測量部
「5万分の1地形図 徳島」
平成10年(1998)図、国土地理院
   
   

   
   
もくじ
松茂の地形の移り変わり
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