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■福山佐兵衛■
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福山佐兵衛作 世話下女頭(お福)10.5.cm
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徳島県名東郡岩延に生れ嘉永6(1853)年5月17日死亡。一時徳島市佐古の源兵衛の家で製作していたが、後徳島市国府町和田に移り福山佐兵衛、横山佐兵衛、清水浜蔵等の名を使っている。人形忠の父親である。仏師より葬具師となりさらに人形師となった。佐兵衛は罪(何の罪か不明)を得て国払いになり讃岐に追われていたが、こっそり帰国して人形の製作を再開した。 |
●息子人形忠の銘でも製作 |
帰国以後は自分の名前の使用をはばかり、自分の製作した人形は、無銘または人形忠と署名をして世に作品を送り出している。故に人形忠の頭には佐兵衛の製作した頭が多数混入していると考えなければならない。人形忠の生年月日より考えると、彼は赤ん坊の時代より(佐兵衛死亡の時人形忠は12歳)人形を製作していた事になる。(限定版「阿波の木偶」より) |
(『松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館 図録 ―人形浄瑠璃関係資料―』の中西仁智雄氏の解説を一部修正して紹介。) |
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