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■鳴州■
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鳴州作 丸目頭(宗任) 14.0cm
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徳島に残る諸説は、彼を寛政・享和(1789〜1803)頃の人と伝えるが、天狗久が石井真之助氏に出した書簡には、「鳴州は文化3(1807)年に故人となったと伝え聞いている」と書いてあるので、人形製作年齢より考え、寛保(1741〜44)時代の前後に生れ、安永(1772〜81)頃より人形製作を続けたのではないかと思われる。 |
鳴門市撫養町に生まれ牢の浜(現在徳島市藍場町)で人形製作に従事していたと言う。もと画家であったと言わるが、画家としての作品は発見されていない。人形の頭の中にある彼の銘は極めて達筆であってさすがと思わせられる。使用材は檜である。 |
作品は、徳島で6個、東京八王子市に1個、滋賀県に1個発見されている。 |
(『松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館 図録 ―人形浄瑠璃関係資料―』の中西仁智雄氏の解説を一部修正して紹介。) |
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