|
■人形忠(デコ忠)■
|
本名清水忠三郎。天保11年(1840)2月清水佐兵衛の長男として、徳島市国府町南岩延に生まれた。屋号は福屋。大江忠二郎、横山忠二郎、清二郎ともいい、佐兵衛と共に和田に移り製作した。明治45年(1912)6月73歳で死亡したが、天真爛漫、奇言奇行逸話に富んだ人で、仕事は気が散るからと言って、専ら夜中過ぎてから励んだという。 |
「頭を彫るには人相骨格を知らないと彫れるものではない」と自分の人形頭には、一つの見識を持っていた。また家の看板に「人相見料1円」「驚く者は入るぺからず」と掲げて、人相も見ていた。晩年は能面や狂言面と共に、大黒や恵比須の像を彫り、あまり人形は作らなかったと言う。 |
人形忠が作った頭は、阿波や淡路の人形座にあるのは勿論、当館にも4個、天理参考館に12個。贈答品にしたものも全国的に散在しており、県の有形文化財に14個の頭が指定されている。 |
(徳島県郷土文化会館民俗文化財編集委員会『民俗文化財集第13集 阿波の木偶』平成4年3月31日発行
p.p.203-204) |
|